ジェイク・ギレンホール『ナイトクローラー』のレビュー。
紹介
ナイトクローラーのストーリー
報道番組で使用されるスクープ映像を追うカメラマン”ナイトクローラー”。
主人公・ルイスは、ひょんなことからこの世界に足を踏み入れるのだが、次第にナイトクローラーとして名を上げてゆき、より過激な映像を求めて夜のロサンゼルスを彷徨う。
ナイトクローラーの出演陣
役者 | 役名 |
ジェイク・ギレンホール | ルイス |
レネ・ルッソ | ニーナ |
リズ・アーメッド | リック |
ビル・パクストン | ジョー |
アン・キューザック | リンダ など |
感想
なぜなら、人々がそれを求めるから
ジェイク・ギレンホール演じる主人公・ルイスは、“ニュース番組に売るスクープ映像を専門に追いかける”ナイトクローラー”と呼ばれるカメラマン。
警察無線を盗聴し、事件や事故の現場に誰よりも早く到着してカメラを回します。被害者のことなんて気にも留めず、ただ良い画を求めてカメラを回し続けます。
言うまでもなく、ナイトクローラーは非常にゲスい仕事です。
しかし、ナイトクローラーという職業は、撮ったものを”メディアが高額で買い取ってくれる”からこそ成り立つ職業であり、メディアも人々がそれに高い関心を示すからこそ、買い取るわけです。
結局、主人公・ルイスは”他人の不幸を覗き見したい”という人々のゲスい欲望に淡々と答えているだけであり、人々がより過激な映像を求めたので彼もエスカレートしたに過ぎません。
確かに、ルイス自身も相当イカれた野郎ではあるのですが、”他人の不幸”を当たり前のように消費する人々も相当イカれており、どちらもマトモではありません。
ある意味、ルイスは”他人の不幸を喰らいたい人々を具現化した”存在です。
人々に代わって他人の人生にしれっと入り込み、彼らの人生を盗み、人々はルイスのカメラを通してそれを観るわけです。
意外(?)にも、この映画では事件や事故の様子を直線的に描くことはなく、それを撮影するルイスを中心にした映像になっています。
無意識のうちに、私は過激な映像を観せてくれないことにもどかしさを感じており、ふと気づくと「もっとカメラを寄せてちゃんと見せて」と思っている自分がいました。
この心理は、まさにナイトクローラーに過激な映像を求める世間と同じで、自分の中に潜むゲスい感情に気付かされた瞬間でした。
この映画ではナイトクローラーを生む背景と、人々(や観客)の中に潜むゲスい感情を鋭くエグリます。
“テレビだとリアルだ”
大画面に映し出されたロサンゼルスの全景を観た主人公・ルイスは、「テレビだとリアルだ」と口にします。
この映画でも触れられますが、本番では撮った映像をそのまま放送しているわけではなく、ディレクターによって加工された映像が流れます。
(音を足したり、映像を前後させたりなど)
さらに、流される映像もディレクターによって選別されており、”マイノリティに殺される裕福な白人”というように視聴者のニーズに合わせたものが採用されます。
日々放送されるニュース映像が加工されているからこそ、ルイスは現場にナイトクローラーとして居たにもかかわらず、「テレビだとリアルだ」と口にします。
もはや、ルイスにとっては本物の世界よりも、切り取られ、編集されたニュース映像の方がリアルに感じるというわけです。
「テレビだとリアルだ」という台詞は、観ている者に「実際に起きている事件を、ニュース番組はきちんと報じているだろうか?」という問いを投げかけるようです。
最後のカーチェイスも”リアル”
ちなみに、最後のカーチェイスも映画やドラマで映し出されるロサンゼルスのワンシーンそのものであり、ある意味ではこちらも非常にリアルだったりします。
まとめ
この映画は”ナイトクローラー”を通してニュース番組と視聴者が生み出す狂気を描いた一作になっており、サイコ・スリラーとして楽しめました。
一方で、事件や事故を脚色する報道番組の存在意義と、それを受け入れる視聴者の姿勢を指摘する社会派映画としても楽しめました。
あと、ジェイク・ギレンホールのサイコな演技は特に印象深く、夜のロサンゼルスに溶け込む様子はさながら『タクシードライバー』のトラヴィスのようでした。