原題 | Hector and the Search for Happiness |
公開日 | 2014年8月14日 |
サイモン・ペッグ主演のコメディ映画『しあわせはどこにある』のレビュー。
しあわせはどこにあるの感想/評価
👎自分本位な自分探し
全ての面倒を見てくれている恋人・クララをほっぽり出し、彼女の気持ちも考えずに自由気ままに世界中を放浪する主人公・ヘクター。
マトモに連絡もせず、中国では浮気し、挙句の果てに元恋人の家に転がり込んで”ワンチャンあるで”とあらぬことを考える始末…。
果たして、仮にヘクターとクララの立場が逆だった場合、ヘクターは彼女の行動を許すだろうか?クララが中国のイケメンと浮気しても許すだろうか?
いや、許さないはず。
そう考えると、ヘクターの自分本位な自分探しにあまり共感できません。
特にヘクターが元恋人・アグネスの家に転がり込む下りは彼の自分本位さが極まっており、「彼女は今も自分が好きなはず」「無条件に受け入れてくれるはず」という考え方がスケスケで不快でした。
(アグネスの夫もそんなヘクターを警戒したのか、ヘクターの目の前でこれ見よがしにアグネスとイチャイチャしていましたね…)
製作陣の偏った価値観が見え隠れする
中国は賄賂と売春だし、アフリカは反政府組織とボロッボロの飛行機だし…。
ヘクターとクララは訛りをバカにするし…。
どことなく製作陣の無自覚な差別意識が見え隠れします。
また、終盤「子供時代は幸福だ」と言い切る辺りも、狭い範囲の出来事を一般化して話しているようでこれも共感できませんでした。
👍”幸せ”を探求すること
紛争地や最貧国に住む人と比べれば、ロンドンに住んで診察代を払える患者たちは恵まれている方なわけですが、彼らは一様に「自分は不幸だ」と言う。
↑に疑問持ち、主人公・ヘクターは”幸せ”を探求する旅に出る。
“幸せを探求する”というお話の出発点は非常に興味をそそられ、諸々の不満点はありながらも道中で得る格言やヘクターの心境の変化は興味深いものでした。
個人的には、ヘクターが言った「ここ(貧しい国)では僕(精神科医)は贅沢品だ」「皮肉だ。街が豊かになればなるほど精神科医が増えるなんて」という言葉が印象に残りました。
- 比較すると幸せは台無しになる
- 幸せとは金持ちになったり偉くなること
- 人は幸せを未来にしか見ない
- 幸せとは一度に複数の女性を愛すること
- 時として幸せとは全てを知りすぎないこと
- 不幸を避けるのが幸福への道ではない
- この男は私の気分を上げる?下げる?
- 幸せとは天職に就くこと
- 幸せとはありのままの姿で愛されること
- サツマイモのシチュー
- 恐怖は幸せを阻害するもの
- 幸せとは心底 生きてる実感を味わうこと
- 幸せとは盛大に祝うこと
- 話を聞くことは愛を示すこと
- 過去は懐かしい だが戻らない
引用元 – しあわせはどこにある
まとめ
終わってみれば、まとまりに欠ける自分探し映画でした。
この手の”それなりにリッチな大人が自分探しの旅に出る”映画では珍しく、素直に、純粋に観ることが難しい映画になっており、期待はずれでした。
サイモン・ペッグとロザムンド・パイクの共演は見事にハマっていましたが。
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