先日クリアした『人喰いの大鷲トリコ』は、私のベスト3に入れるほど大好きな作品となった。
12時間以上にも上るトリコとの大冒険は生涯忘れることのない思い出となり、”あれ”から1週間以上経過した今も、ペットロスならぬ”トリコ ロス”に近い感情を抱いている。
確かに、トリコはビデオゲームに登場する架空のキャラクターだ。
しかし、私はトリコが本物の生き物のように感じられたし、トリコが痛めつけられれば私自身もその痛みを感じていた。
私はそれほど”濃い関係”を築くことが出来たと思っているわけだが、私は”トリコ ロス”を埋めるために再プレイすることは絶対にしない。
それはなぜか…?
それは次に会うとき、トリコはあの冒険を覚えていないからだ。
まず、『人喰いの大鷲トリコ』には引き継ぎが存在しない。
したがって、一度冒険を終えるとそれでお終いだ。
これは”トリコとの冒険は人生で一度きりのもの”という上田文人(@fumito_ueda)氏からのメッセージなのかも知れないが、一度きりだ。
ということは、私がトリコと再会できるのは”このゲームをゼロからスタートした”時となり、次に会うとき、残念ながらトリコは私のことも、あの冒険のことも覚えていない(知らない)のだ。
私はこれまでと同じようにトリコと接するが、相手はまるで他人同然の反応を見せる。この一方通行に耐えることが出来ない。
だから、私はこのゲームを2度とプレイすることはない。
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