#バイオショック (Bioshock)【感想 評価 批評 レビュー】

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本作『バイオショック』は、2007年に発売され、数々のゲームアワードを総なめにした作品で、Ken Levine氏がリードライターとして執筆した物語は、ビデオゲームという媒体ならではの内容で、多くのゲーマーから名作と認知されている。

ようこそ、理想郷へ

私はゲーム的な誤魔化しに慣れきっていたところがある。「なぜ、鉛玉を喰らって死んだはずの主人公が復活するのだろうか」、「なぜ、言われるがままに行動しないといけないのだろうか」と言った疑問を、「これはゲームだから」と勝手に解釈し、特に気に留めることもなく遊んできたところがある。

デベロッパー側もプレイアビリティ優先で、この部分のフォローが十分とは言えないのではないか。「なぜ、主人公は復活できるのか」「なぜ、ゲーム側の指示通りに動かないといけないのか」と言った問いに対して、しっかり答えが用意できている作品はそう多くない。

「完璧だった」とは言えないが、13年に発売された『スペックオプス ザ・ライン(Spec Ops: The Line)』では、この辺りフォローがしっかりしていて感心したことを覚えている。「主人公が何度も復活できる理由」「ゲーム側の指示通りに遊ばされる理由」と言ったことに、ちゃんと意味があったのだ。

ただ、誤解して欲しくないのだが、私はゲーム内の全てのことに対して理由付けを求めているわけではない。グランド・セフト・オート内で逮捕される度に裁判を受けて服役するなんて面倒臭いし、スピード違反でいちいち呼び止められたくない。だが、その部分に筋の通った理由があるのは理想的ではある。

話を元に戻すと、本作『バイオショック』は、そんな私にとって正に理想的なゲームだ。結末を知るまでは、「なぜ、主人公は得体の知れない注射を躊躇なく刺したのか」「なぜ、倒されても無傷で復活できるのか」と言った疑問を持っていたのだが、実は全て物語側で理由付けされているのだ。

それに関しては終盤に明かされるのだが、その真実はゲーム的な”誤魔化し”を「これはゲームだから」と、都合よく解釈して遊んでくれていたプレイヤーを盛大に引っ掛けるトラップになっており、正にビデオゲームだからこそ出来た物語と演出には、賞賛以外にこれを称える言葉が見当たらないほどだ。

こうした首尾一貫して矛盾のない世界を展開する『バイオショック』と、その舞台である「ラプチャー」は、芸術家のみならず”ゲーム的な誤魔化し”に疑問を抱く者にとっても楽園であり、正に理想郷なのだ。

豪勢だが、もう一工夫

ゲームプレイ面ではFPSを軸に様々な要素が組み込まれている。プレイ中に採取したアダムで主人公をレベルアップさせていくRPG要素や、電子機器をハックして有利に進めていくハッキング要素などがあり、非常に豪勢な内容と言える。

だが、標準難易度では「ゴリ押し」でも攻略できてしまうほど大味なところがあり、適当に「スパナ」、ないしは”バールのようなもの”を振り回すだけでエリアを制圧できることが大半で、中ボス戦とも言える「ビッグ・ダディ」戦でさえも、中盤以降は単なる作業と化すほど大味なゲームバランスになっている。

さらに、中盤以降は明らかなお使いミッションが目立つようになり、物語とは対照的にゲームプレイ面は失速していく。多くの人が最初に遊ぶであろう標準難易度では、もう少しリソース管理やハードな戦闘を楽しめるバランスにし、中盤以降のミッションもさらに多様なものにすべきだったのではないか。

最高難易度では、最後の最後までリソース管理、スキルの取捨選択に追われるなど、非常に硬派な面があり、その腕っ節だけではなく頭脳も必要なゲームプレイは大変面白いのだが、標準難易度は大味。

総評

ビデオゲームならではの物語と、豪勢なゲームプレイは非常に丁寧な作り。大味なゲームバランスではあるが、充実した物語主導型の体験を得ることが出来る一作になっている。